| "新春企画"
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| 「立・場」父/浜辺の立・場 村上 慎二 展 SHINJI MURAKAMI 2004年 1月10日(土)〜1月25日(日) A.M.11:30-P.M.7:00 (最終日P.M.3:00まで)水曜休廊 過去の展覧会データ→ 2000 トキ・アートスペース 150-0001 東京都渋谷区神宮前3-42-5サイオンビル1F TEL/FAX 03-3479-0332 |
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<作家コメント> 『父』という作品は、私の父親がモデルです。いつか父を私の表現に取り込めないものかと考えていました。同時に展示する『浜辺の立・場』に関連を持たせたロケーションで撮影。 『浜辺の立・場』という作品は、地元の波打ち際で今夏撮影を行いました。1998年の「東京湾 際に立つ」制作中から暖めていたプランです。砂浜を波打ち際に沿って歩いていくと、前方は私にとって未踏の地であり、振り返れば足跡が点々と残っています。やがて波に洗われて足跡は消えて行きます。 ●立・場の基本的な考え方について 往々にして観念的にとらえられている波打ち際は、陸と海の接するリアルな場である。この輪郭は(日本列島という)形態の特徴を表すものなので、海岸線に「立つ」という意味は自明なことだろう。 「東京湾・際に立つ(1998年)」は、東京湾を一巡して波打ち際に三脚を立て、前(海側)と後(陸側)を撮影した。前後を撮影することは、「自己」と、その「眼前の世界」と「背後の世界」の関係を表現することであり、混沌とした時代における個の立脚点を探るための試みである。 新作は、こうした方針を継続しながら、技法的にはスナップである。それは瞬間に、より触発され、眼前の現実を取り込んでいくという、写真表現として当たり前のことが目的となる。 『「写真家」の透視力は、「見る」ことによってではなく、その場にいることによって成り立つ(※)』とまで名言出来ないが、写真は「見ることそのもの」よりも、「立つ場」のファクターが、実は重要なことである。このことは、再認識しておくべきだろう。 立ち止まった「場」を軸に、並列に配置された二枚の風景写真。その二枚は「作為(触発された瞬間)」と「作為に導かれた結果的なもの(触発されてはいない偶発的瞬間)」である。この二点間に何があるのだろうか?プリント上の二つの画像を仕切る黒い帯(ネガのコマ間)が、その何かを提示し、それは読み解けるはずである。 (※)ロラン・バルト「明るい部屋」花輪光
訳 みすず書房より
村上 慎二 1963 神奈川県生まれ |
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最寄り駅 地下鉄 銀座線神宮前より徒歩8分 |
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